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旭川地方裁判所 昭和46年(ワ)99号 判決 1974年6月13日

原告

徳永忠直こと張廣録

被告

喜多勇

ほか二名

主文

一  被告らは、原告に対し、各自二六二万八、五六四円および右金員に対する昭和四六年四月一〇日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを六分し、その五を原告の負担とし、その余を被告らの連帯負担とする。

四  この判決は、一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(請求の趣旨)

一  被告らは、原告に対し、各自一二六三万八、九七六円および内金一二一三万八、九七六円に対する訴状送達の日の翌日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告らの連帯負担とする。

三  仮執行の宣言

(請求の趣旨に対する被告らの答弁)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張

(請求原因)

一  交通事故の発生

1 発生日時 昭和四三年一二月四日午前一〇時四〇分ころ

2 発生場所 北海道上川郡愛別町字豊里二九三、国道三九号線道路上

3 第一加害自動車 小型乗用車(旭五ま―六九八一号。以下「喜多車」という)

運転者 被告喜多勇

4 第二加害自動車 小型乗用車(北五ひ―一八一号。以下太田車」という)

運転者 被告 太田家広

5 被害自動車 自家用小型乗用車(北五ひ―七九〇一号。以下「原告車」という)

運転者 原告 張廣録

被害者 原告 張廣録

6 態様 停車中の原告車に喜多車が後退して来て衝突(以下「本件第一事故」という)し、次いで、その直後太田車が原告車に追突(以下「本件第二事故」という)した(以下本件第一事故と本件第二事故を総称して「本件事故」という)。

7 結果 頸椎捻挫、頸部自律神経症候群、大後頭三叉神経痛、外傷性腰痛症等の傷害

8 治療経過

(一) 昭和四三年一二月一二日から昭和四四年七月一五日まで二一六日間中村脳神経外科医院(以下「中村医院」という)に入院

(二) 昭和四四年一〇月一三日から昭和四四年一一月一九日まで三八日間東京医科大学病院に入院

(三) 昭和四五年四月二五日から昭和四五年四月二八日まで四日間石川外科に入院

(四) 昭和四四年七月一六日から昭和四五年六月二三日までの間に、中村医院に一九日、東京医科大学病院に二日、石川外科に一一三日、大島歯科医院に一三日、吉森指圧治療院に七六日通院

二  責任原因

1 被告喜多

被告喜多は、本件事故当時、喜多車を所有し、自己の運行の用に供していた(運行供用者責任)。

2 被告太田

被告太田は、本件事故当時、太田車を保有し、自己の運行の用に供していた(運行供用者責任)。

3 被告北海道放送株式会社(以下「被告会社」という)

被告太田は、被告会社の北見放送局次長の職にあつた者であるが、その業務として、被告会社で本件事故の翌日から使用する予定であつた被告会社の録音機を太田車に積載してこれを被告会社の本社に届ける途中、本件第二事故を起こしたものである。そして右事故は、被告太田が先行する原告車の動静に十分の注意を払わず、かつ、原告車の動静に対応してハンドル又はブレーキを適切に操作しなかつたためか若しくは事故を回避すべき適切な処置をとらなかつた過失によつて生じたものである(使用者の不法行為責任)。

三  損害

1 治療費 一四〇万三、八九四円

(一) 中村医院 一〇四万〇、四三四円

(二) 東京医科大学病院 一五万七、七〇〇円

(三) 石川外科 一三万六、〇八二円

(四) 大島歯科医院 三万一、六七八円

(五) 吉森指圧治療院 三万八、〇〇〇円

2 医療器具代 二六万七、七〇〇円

(一) 頸椎用装具(コルセツト) 一万三、七〇〇円

(二) ヘルストロン(ベツドを含む) 二二万七、〇〇〇円

(三) メガネ 二万七、〇〇〇円

3 付添看護料 一七万七、四八〇円

(一) 派出婦(中央家政婦紹介所) 五万五、九七〇円

昭和四三年一二月一三日から昭和四四年一月二日までの三九日間

(二) 妻林子 四万円

昭和四三年一二月一二日から昭和四四年二月二八日までの四〇日間(一日一、〇〇〇円の割合)

(三) 派出婦(九渕家政婦紹介所) 八万一、五一〇円

昭和四四年一〇月一三日から昭和四四年一一月一九日までの三八日間

4 入院諸経費 五万一六、〇〇円(一日二〇〇円の割合)

(一) 中村医院二一六日間

(二) 東京医科大学病院三八日間

(三) 石川外科四日間

5 栄養費(牛乳代) 一万九、五七九円

(一) 昭和四三年一二月一二日から昭和四四年七月一五日まで一万六、四三四円

(二) 昭和四四年一〇月三日から昭和四四年一一月一八日まで三一四五円

6 交通費 二八万一、〇〇〇円

内訳は別表のとおり。

7 休業損害 二四〇万一、八六六円

原告は、本件事故当時、森本パチンコ店に支配人として勤務し、年七二万円の給与を受け、また、自らパチンコ機械の販売取付業を営み、それによつて年平均三四万七、五〇〇円の収益をえていたが、本件事故のため、昭和四三年一二月四日から昭和四六年三月三日までの二七ケ月間休業を余儀なくされ、収入を得られず、その間、合計二四〇万一、八六六円の損害を受けた。

算式(720,000円+847,500円)×1/12×27=2,401,866円

8 逸失利益 九一六万九、八二五円

(一) 後遺症

原告は、本件事故による傷害により、頭部の急激な位置変換による失神発作、左半身の知覚異常、左上肢の鈍痛および筋力緩力の低下、頸部の運動障害、頭痛、強度のめまい、吐気、耳鳴り、頸部痛、呼吸困難の発作等の後遺症が残り、その程度は自動車損害賠償保障法施行令別表後遺障害等級七級に該当する。

(二) 原告は、大正八年七月一三日生れの男子であるが、前記後遺症のため就労が全く不可能となり、九一六万九、八二五円の将来得べかりし利益を失つた。

本件訴え提起時の年齢 五二才

平均余命年数 二一・三四年

稼働可能年数 一一年(昭和四六年三月四日から昭和五七年三月三日まで)

労働能力低下の存する期間 一一年間

年間総所得 一〇六万七、五〇〇円

労働能力喪失率 一〇〇%

中間利息の控除 ホフマン複式(年別)計算方法による

以上により本件訴え提起時の逸失利益の現価を算出すると前記金額になる。

算式 1,067,500円×8,590=9,169,825円

9 慰藉料 二〇〇万円

特記すべき事情は次のとおりである。

(一) 原告は妻林子との間に一男三女をもうけ安定した生活を営んでいたが、本件事故により就労不能となり、収入もとだえ、未成年の子供らをかかえて将来の生活に計り知れない不安がある。

(二) 原告は、本件事故のため長期にわたる入院および通院を余儀なくされ、その間日夜心身の苦痛にさいなまれたばかりか、症状の固定した現在においてもなお前記後遺症のため妻林子の介添なしには全く生活できない状態であり、将来にわたつて肉体的精神的に苦しまなければならない。

10 弁護士費用 八〇万円

原告は、被告らが本件事故による損害金の支払に応じないので、やむなく本件訴えを提起することになつたが、今までに訴訟手続を経験したこともなく、また裁判所に出廷して訴訟を進めていくことも困難な容体であつたので、弁護士大塚重親に本件訴訟を委任し、手数料として八〇万円支払う約束をし、その内三〇万円を既に支払つた。

四  保険金等の受領とその充当

原告は、被告喜多より二〇万円、自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という)より三五〇万円(傷害補償一〇〇万円、後遺症補償二五〇万円)、国民健康保険より二三万三、九六八円の各支払を受けたので、前記治療費、医療器具代、付添看護料、入院諸雑費、栄養費および交通費の全額ならびに休業損害の一部(一七三万二、七一五円)に充当する。

五  結論

よつて、原告は、被告らに対し、各自一、二六三万八、九七六円および内金一、二一三万八、九七六円(弁護士費用のうち未払のものを除いた金額)に対する訴状送達の日の翌日より支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する認否)

一  被告喜多

1 請求原因一項の1ないし5の事実はいずれも認める。同6の事実中、原告車と喜多車が衝突したことは認めるが、その余は否認する。本件第一事故は、喜多車が停止しているところへ、原告車が追突したものである。同7、8の事実は知らない。

2 同二項1の事実は認める。

3 同三項の事実中、原告が原告代理人に本件訴訟を委任したことは認めるが、その余はすべて知らない。原告主張の損害額は、次のとおり、不相当ないし過大である。

(一) ヘルストロン(ベツドを含む)代は本件事故による傷害の治療には無関係である。

(二) 栄養費は入院諸雑費に含まれるべきであるから、入院諸雑費と別に請求することはできない。

(三) 原告自身の交通費のうち昭和四三年一二月四日の旭川から室蘭までの汽車賃は本件事故と因果関係がなく、また原告の妻は、通院の必要もないのに通院したのであるから、そのために要した交通費は本件事故と因果関係がない。

(四) 原告が本件事故前原告主張のとおりパチンコ機械の販売取付により収益をえていたとしても、右収益をえるためには必要経費が五割以上かかるから、必要経費を控除すべきである。

(五) 原告が本件事故前原告主張のとおり所得をえていたとしても、原告は、後遺症の症状が固定した後軽労働に従事していた事実があるから、労働能力喪失率は三〇%を越えることはなく、しかも労働能力喪失期間も五年を越えることはない。

(六) 原告が原告主張のとおり入院又は通院したとしても、慰藉料の額は七七万円を越えることはない。

4 同四項の事実中、充当関係については知らないが、その余はすべて認める。

5 同五項は争う。

二  被告太田

1 請求原因一項中1ないし5の事実はいずれも認める。同6の事実中、太田車が原告車に追突したことは認める。同7、8の事実は知らない。また、仮に原告に原告主張のとおりの症状があるとしても、本件事故との間に因果関係はない。

2 同二項2の事実は認める。

3 同三項の事実中、原告が原告代理人に本件訴訟を委任したことは認めるが、その余はすべて知らない。

4 同四項の事実中、充当関係については知らないが、その余はすべて認める。

5 同五項は争う。

三  被告会社

1 請求原因一、三、四、五項の認否は前記被告太田と同じである。

2 同二項3の事実中、被告太田が被告会社の北見放送局次長であつたことは認めるが、その余はすべて否認する。被告太田は、本件事故当日、被告会社の真空管電圧計を太田車に積載していたが、それは被告会社の指示に基づくものでなく、しかも同被告は当日有給休暇をとつて私用で太田車を運転していたのであるから、被告会社の業務の執行ではない。また本件第二事故に関して被告太田には何ら過失がなかつた。

(被告らの主張)

一  被告喜多

1 本件事故の態様は次のとおりである。

被告喜多は、国道三九号線を愛別町方向に向かつて進行中、豊里九線道路との交差点より約三〇メートル手前に差しかかつた際、右折するため方向指示灯を点滅させながらブレーキをかけたが、路面が凍結していたため、右折できず、そのまま右交差点を通過し、同交差点を少し進行したところで、センターラインと道路左端との中程に停車した。そこで後退するため、前方を確認したところ約五〇〇メートル前方に対向してくる大型貨物自動車があり、後方を確認したところ、約一〇〇メートル後方付近を同方向に向かつて進行してくる原告車を認めたが、原告車との距離も相当あり、道路の幅員も広かつたので、道路左側に向けて毎時一〇キロメートルの速さで斜めに後退し、約一五メートル後退して一旦停車したところ、原告が道路左側を進行して来て、喜多車の後部に衝突し、更にそこへ前方注視を欠いた太田車が猛烈なスピードで追突したのである。したがつて、本件第一事故に関しては、被告喜多の後退には何ら責められるべきところなく、かえつて被告喜多車の動静に注意を欠き、しかもハンドル操作を適切になさなつた原告こそが責められるべきである。

2 従つて、原告が本件事故により原告主張のとおりの傷害を負つたとしても、本件第一事故の衝突は軽微で、本件第二事故の衝突は激烈であつたから、右の傷害はもつぱら本件第二事故によるもので本件第一事故によるものではない。

3 また仮に原告主張のとおりの症状があるとしても本件事故との間に因果関係はない。すなわち原告は、本件事故前の昭和四一年九月ころ旭川市内で交通事故を起こして加療中、昭和四二年七月一〇日ころ斜里郡斜里町で自動車を運転して、測溝に転落して重傷を負い、中村医院で昭和四二年一一月、昭和四三年三月の二回にわたり頸椎前方固定術を受け、その後石川外科で外傷性頸部症候群、外傷性椎骨動脈不全症候群の治療を受けていたもので、原告主張の傷害は、前記二回の事故によるもので本件事故に起因するものではない。そうでないとしても、本件事故当時未だ前記二回の事故による傷害が残存していたものであるから、右事故の寄与している部分は、被告喜多において責任を負わない。

4 抗弁

(一) 前記1、2記載のとおり、本件事故はもつぱら原告および被告太田の過失によるもので、被告喜多に運転上の過失はなく、また本件事故当時、喜多車には構造上の欠陥も機能障害もなかつたから、被告喜多は免責される。

(二) 過失相殺

仮に被告喜多に本件第一事故の過失があつたとしても、本件事故発生については、原告および被告太田にも過失があり、それが本件事故発生の要因をなしているものであるから、損害額の算定にあたつては、大幅な過失相殺がなされるべきである(なお、本件事故については被告太田の過失も重大であるから原告のみならず、被告太田との間でも過失相殺されるべきである。)

(三) 弁済

被告太田は、原告が本件事故により中村医院に入院中、見舞金として二七万円支払つた。

二  被告太田および被告会社

1 本件事故の態様は次のとおりである。

被告太田は、毎時五〇キロメートルの速度で車間距離を約五〇メートル保ちながら原告車に追従していつたところ、原告車の前方を走行中であつた喜多車が後退して原告車と衝突し、原告車が急激な事故停止をしたため、素早く継続ブレーキ操作をする一方原告車との衝突を回避するためにハンドルを右に切ろうとも考えたが、丁度右前方約一〇〇メートルのところを大型貨物自動車が対向してきていたため、ハンドルを右に切ることもできず、やむなく原告車に衝突してしまつたのである。したがつて本件第二事故は、被告喜多が後続する原告車に十分注意を払わずに後退した過失かあるいは原告が前方に十分注意を払つて喜多車の後退してくるのを直ちに発見し、素早く急停止すべきであるのにこれを怠つた過失に起因するものである。被告太田は、原告車の動静に十分注意を払つて運転していたのであり、被告太田にとつて本件第二事故は不可抗力であつて同被告には何ら過失はない。

2 仮に原告主張のとおりの症状があるとしても、右は本件事故に起因するものではないので、本件事故と因果関係がなく、そうでないとしても、本件事故以前の事故の寄与している部分については、被告太田および被告会社において責任を負わない。その具体的理由は、前記被告喜多の主張(一の3)と同じである。

3 抗弁

(一) 前記二1記載のとおり、本件事故はもつぱら原告および被告喜多の過失によるもので、被告太田に運転上の過失はなく。また、本件事故当時、太田車には構造上の欠陥も機能障害もなかつたから、被告太田は免責される。

(二) 仮に原告主張のとおり被告太田に本件第二事故に関して過失があつたとしても、本件事故発生については原告にも前記のとおり重大な過失があつたから、損害額の算定にあたつて、これが斟酌されるべきである。

(三) 原告、被告太田、被告喜多の三名は、本件事故当日、本件事故により生じた原告の損害は被告喜多が、被告太田のそれは原告がそれぞれ賠償することで示談が成立し、その際、原告は被告太田に対して本件事故によつて生じた人体の傷害について一切の請求をしないことを確約した。

(四) 弁済

被告太田は、原告が本件事故により中村医院に入院中、見舞金として二七万円支払つた。

(被告らの主張に対する原告の認否)

一  被告喜多の主張に対して

1 抗弁(一)ないし(三)の事実はすべて否認する。

本件第一事故発生については、原告は過失はなく、もつぱら被告喜多の後方不注意、後退不適当、ハンドル、ブレーキ操作不適当の過失によるものである。

2 なお、同被告の主張3の事実につき、原告が昭和四二年七月斜里郡斜里町で交通事故をおこしたこと、中村医院に入院し二回頸部の手術を受けたことは認めるが、右事故による傷害は、本件事故当時全治していたのであつて、本件事故による後遺症とは、全く無関係である。

二  被告太田および被告会社の主張に対して

1 抗弁(一)、(二)、(四)の事実は否認する。

本件第二事故発生については、原告に過失はなく、もつぱら被告太田の過失によるものである。

2 抗弁(三)の事実中、原告、被告太田、被告喜多の三名が本件事故当日、原告の修理代を被告喜多が、被告太田のそれを原告がそれぞれ負担する旨の示談が成立したことは認めるが、その余は否認する。

右示談は、本件事故当日、原告が身体に傷害を受けているか否かが不明であつたため自動車修理代金についてのみなされたものである。

3 なお、同被告らの主張2の事実に対する認否は、被告喜多の主張に対する原告の認否2と同じである。

(原告の再抗弁)

一  仮に原告と被告太田との間に本件事故による人体の傷害について一切の請求をしない旨確約したとしても、原告は、昭和四三年一二月二九日、被告太田との間で、右示談を無効とすることに合意した。

二  仮に右合意が認められないとしても、原告は、前記示談を結ぶに際し、原告の身体傷害および後遺症の存在を考慮せずになしたから、右示談には要素の錯誤があり、したがつて右示談は無効である。

(再抗弁に対する認否)

再抗弁一、二の事実はすべて否認する。

第三証拠〔略〕

理由

一  事故の発生

請求原因一項中1ないし5の事実および喜多車と原告車、太田車と原告車とが衝突したことはいずれも当事者間に争いがなく、〔証拠略〕を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  本件事故の発生した道路は、国道三九号線上で、東西に通ずる速度規制のもうけられていない幅員七・三〇メートル(道路の中央にはセンターラインの標示がある)の直線でかつ平担な道路であり、見通しはよいが、本件事故当日、ときおりみぞれが降つており、路上は凍結していた。また右国道は、本件事故現場より約一〇メートル西側の地点で南北に通ずる町道豊里九号線(幅員三メートル)とほぼ直角に交差している。

2  被告喜多は、右国道を毎時約五〇キロメートルの速度で西進中、右交差点より約三四メートル手前の地点で方向指示灯を点滅しながら速度を毎時約一〇キロメートルに減速し、右交差点を右折しようとしたが、路面が凍結していたため、ブレーキ、ハンドルの操作に失敗し、右折することができず、右交差点を少し通りすごし、対向車線上にまで進行して停車した。そこで、同被告は、後退して右交差点を再度右折しようと考え、前後方を確認したところ、前方には約五〇〇メートルのところを大型貨物自動車が対向して来ており、後方には原告車が走行してきていたが、その間に約一〇〇メートルの距離があるように思われたので、右折の方向指示灯を点滅したまま、毎時約一〇キロメートルの速度でセンターライン沿いに一二・三メートル後退し、停止しようとしたところ、喜多車の右後部を原告車の左前部に衝突され、一・二メートル前方に押し出された(なお、同被告は、後退し出した後衝突するまで、原告車の動静に一切の注意を払わなかつた)。

3  原告は、毎時約五〇キロメートルの速度で喜多車に追従中、右交差点より約一二〇メートル手前の地点(喜多車との間は約八四メートル)で、喜多車が右交差点を右折すべく方向指示灯を点滅し、減速し始めたのを発見した。原告は、当初喜多車が右交差点で右折するものと思つて、そのままの速度で進行したが、喜多車が道路中央よりに徐々に寄つて行きながらも、右折せずに右交差点を通過してしまつたので、喜多車の動静に不安をいだき、少し減速して進行し、右交差点の手前約三〇メートルの地点まで行つたところ、被告喜多が後退を始めたので直ちに急制動措置を構じ、ハンドルを右に切つて事故を避けようとしたが、おりから大型貨物自動車が対向して来たため、ハンドルを十分右に切ることもできず、結局原告車左前部を喜多車右後部に衝突させ、原告車左前照灯上部を小破した。原告は、右衝突により軽い衝撃も受けたが、すぐ原告車から降りようとした際、原告車の後部を太田車前部に衝突された。原告は頭部を後方に振られるかなり強い衝撃を覚え、また原告車の後部を小破した。

4  被告太田は、毎時五〇キロメートルの速度で原告車に追従中、約四〇メートル前方で原告車が前記衝突により停止したのを発見し、直ちに急制動措置を講じ。ハンドルを右に切つて事故を避けようとしたが、おりから大型貨物自動車が対向して来たためハンドルを十分に右に切ることができず、結局太田車前部を原告車後部に衝突させ、太田車を小破した。なお、被告喜多、同太田はいずれも右各事故により何らの傷害も負わなかつた。

右認定に反する〔証拠略〕は前掲各証拠に照らして容易に措信し難く、他に右認定を左右する証拠はない。

二  原告の傷害

1  〔証拠略〕を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、本件第一事故の際はあまり強い衝撃を感じなかつたが、本件第二事故の際は、頭部を後方に振られかなり強い衝撃を受けた。原告は、右衝撃によりしばらくの間意識がもうろうとしていたけれども、間もなく元にもどつたので、本件事故現場の実況見分に立ち会い、その後旭川市にある修理工場まで原告車を運転し、次いで汽車で室蘭市にある妻林子の実家へ行つたが、その日の午後九時ごろから頭が重く、吐き気を感じるようになり、同月一二日、札幌市にある中村医院で診断を受けたところ、頸部不安定症、頸部自律神経症候群、大後頭三叉神経痛、頸腕症候群、外傷性腰痛症と診断され、右同日から昭和四四年七月一五日まで二一六日間同医院に入院した。その後原告は、昭和四六年七月二三日まで同医院に通院(実通院日数一九日)する一方、北見市にある石川外科で外傷性頸部症候群、外傷性椎骨動脈不全症候群と診断され同外科に通院(実通院日数一一一日。なおこの他に往診日数二日)したが、その間同外科の医師石川厳の紹介で昭和四四年一〇月一三日から同年一一月一九日まで三八日間東京医科大学病院脳神経外科に入院して精密検査を受け、昭和四五年四月二五日から同月二八日まで四日間石川外科に入院した。

(二)  原告は、中村医院に入院した当初および入院中は、失神、強度の頭痛、目まい、吐き気、頸部疼痛、上下肢のしびれ等を訴えており、同医院を退院する際、頸部疼痛は多少やわらいだものの。その他頭痛等の症状はかなり残つたままであり、その後石川外科に通院し始めたときも、かなりひどい失神、頭痛、めまい、頸部痛を訴えており、東京医大病院に入院した際もほぼ同じような症状を訴えていたが、同医大病院における精密検査の結果、原告の外傷性頸椎症候群、左椎骨動脈循環不全の症状は、左側半身知覚鈍麻、左上半身の疼痛、左側上肢筋力低下、頸部運動障害、頭痛、耳鳴り等の症状を残し、また呼吸困難等の発作が今後かなり長期にわたつて持続すると推定されたものの、一応症状が固定している(自賠法施行令別表七級該当程度)ことが判明し、昭和四四年一一月三〇日には治ゆの診断が下された。

(三)  原告の前記不定愁訴は、前記のとおりの入院、通院により多少やわらいだものの、結局、頭部の急激な位置変換による失神発作、左半身の知覚異常、左上肢の鈍痛、左上身の筋力、握力の低下、頭痛、めまい、頸部痛、耳鳴り等の症状は残つた。

右認定に反する証拠はない。

2  被告らは、原告の前記傷害は本件事故によるものでなく、原告が本件事故以前に起こした事故によるものである旨主張し、〔証拠略〕によれば、原告は本件事故以前に二回交通事故を受けたこと、一回目は後頭部頸部背腰部挫傷、左前胸部挫傷の傷害を受け、昭和四二年三月一四日から同月一七日まで五十嵐医院で治療を受けたこと。二回目は、昭和四二年七月一〇日ごろ、斜里郡斜里町付近で自動車が路上の側溝に落ち、五十嵐医院で背部腰部挫傷兼胸腰椎捻挫と診断され、昭和四二年八月五日から昭和四二年九月七日まで同医院に通院(実通院日数一八日)し、同月一二日、中村医院で頸椎不安定症、頸部自律神経症候群、大後頭三叉神経痛、頸腕症候群、外傷性腰痛症と診断され、同日同医院に入院し、昭和四二年一一月一八日、頸椎五、六番の固定術をし、昭和四三年二月二日退院したが、その後頸椎の四、五番に不安定な症状がみられるようになつてきたので昭和四三年二月二二日再び同医院に入院し、四、五番の固定術をし、昭和四三年五月一〇日、同医院を退院したこと、その後同医院に通院を続ける一方、前記石川外科で外傷性頸部症候群と診断され、昭和四三年八月八日から昭和四三年一〇月四日まで通院したこと(以上の事実のうち原告が昭和四三年七月斜里郡斜里町で交通事故を起し、そのため中村医院に入院し、二回頸部の手術を受けたことは当事者間に争いがない)を認めることができるが、〔証拠略〕によれば、原告は二度の頸椎固定術を受けた後も頭痛、腰痛、左上下肢の脱力感あるいはしびれ感等の不定愁訴を訴えていたが、退院するころには軽作業程度なら可能な状態になつていたこと。石川外科に通院し始めたころも、前記同様の不定愁訴を訴えていたが、入院して治療を受けても格別よくなる症状でなかつたため、同外科で血管拡張剤、複合ビタミンの投与を受ける一方、対症療法をうけていたこと、同外科に最後に通院した昭和四三年一〇月四日ころには、正常な範囲を超えて急激に頭を左右に動かせば(例えば、寝ている枕を突然はずす位の衝撃でも可能である)、めまいがおこるものの、かような動作をしないかぎり、日常生活ができるような状態まで回復しており、前記不定愁訴も頸椎の固定が進むにつれて徐々に軽快していく状態にあつたことが認められ(〔証拠略〕は前掲各証拠に照らして容易に措信し難い)、以上の事実に前記認定の本件事故後の症状を合せ考えれば、原告の前記傷害と本件事故との間に因果関係がない旨の被告らの右主張は採用することができない。

3  ところで、前記認定のとおり第一事故と第二事故とは同じ場所でほぼ同時に関連して発生したものであるところ、被告喜多は、原告の前記認定の本件事故による傷害は本件第二事故によるものであり、本件第一事故と原告の受傷との間に因果関係がないと主張し、原告が本件第一事故のときはあまり強い衝撃を受けず、本件第二事故のときかなり強力な衝撃を受けたことは前記認定のとおりであるが、喜多車と原告車との衝突によつて喜多車が一・二メートル前方に押し出されたことも前記認定のとおりであり、右事実に前記認定の原告の本件事故当時の頸椎の状態を合せ考えれば、本件第一事故のみでも原告の前記認定の傷害もおこりうる可能性が多分にあると思料されるから、第一事故が第二事故よりはるかに軽微であつたとの事実のみでは、原告の前記傷害と本件第一事故との間に因果関係がないものということはできないので、被告喜多の右主張は採用することができない。

三  責任の帰属

1  被告喜多

被告喜多が喜多車を所有し、その運行を支配していたことは当事者間に争いがない。

被告喜多は、免責の主張をするが、前記一認定のとおり、本件第一事故は、被告喜多が道路の状態(当時凍結していた)を考慮して後続する原告車の速度あるいは原告車との距離を確め、十分後方の安全を確認したうえで喜多車を後退させるべきであつたにもかかわらず、後方の安全の確認を十分になさないまま原告車との距離が約三〇メートルになつたとき後退し始めた過失に基づくことが明らかであり、従つて、被告喜多が免責されることはないので、右主張は理由がない。

2  被告太田

被告太田が、太田車を保有し、運行の用に供していたことは当事者間に争いがない。

被告太田は、免責の主張をするが、前記一認定のとおり本件第二事故は、被告太田が当日路面が凍結し、ブレーキ操作がうまくできるような状態でなかつたのであるから、かような路面の状態を十分考慮し、前車の急停止にそなえて、前車の動静に注意して進行すべきであつたにもかかわらず、これを欠き、原告車との距離が約四〇メートルになつて初めて、原告車が停車しているのを発見した過失に基づくことが明らかであるから、従つて、同被告が免責されることはないので、右主張は理由がない。

3  被告会社

(一)  被告太田が本件第二事故に関して過失があることは前記認定のとおりである。

(二)  被告太田の運転行為が被告会社の業務の執行にあたるかどうかについて判断する。

〔証拠略〕によれば、被告太田は、当時被告会社の北見放送局の次長であつた(この事実は当事者間に争いがない)が、昭和四三年一二月五日から札幌で開かれる被告会社の会議に出席することになつたので、その機会を利用して、以前旭川送信所から北見放送局が借りた真空管電圧計を返済しようと考え(北見放送局においては他の放送局との間の物品の貸借は次長の専決事項であつた)。右電圧計を太田車に積載して同送信所に向う途中、本件第二事故を発生させたことが認められ(右認定に反する〔証拠略〕は前掲各証拠に照らして容易に措信し難い)。右事実によれば、被告会社の電圧計を旭川送信所に運送する被告太田の行為は、被告会社の職務の執行と認めることができる。もつとも〔証拠略〕によれば、被告会社においては職務のために社員が自家用車を使用することを禁じており、被告太田も本件第二事故当時、有給休暇をとつていたことおよび被告太田の職務の中に自動車を運転することは含まれていないことが認められるが、被告太田の行為が被告会社の職務の執行にあたるかどうかはもつぱら被告太田の行為を外形的、客観的に見て判断すべきであるから、右事実をもつて前記認定をくつがえすことができず、他に前記認定をくつがえすに足りる証拠はない。

4  被告喜多、被告太田、被告会社の責任の関係

前記認定によれば、本件第一事故と本件第二事故とは共同不法行為であるから、被告喜多と被告太田は、本件事故により生じた原告の損害を連帯して賠償すべきものであり、また被告会社は、被告太田の使用者として民法七一五条により同被告と連帯して同被告が賠償すべき損害を賠償する責任があるので、被告喜多、被告太田、被告会社は、連帯して、本件事故により原告の蒙つた損害を賠償すべきである。

四  損害

1  治療費 一三四万五、五八五円

〔証拠略〕によれば、原告は、本件事故による治療費として中村医院に一〇四万一、二三四円、東京医科大学病院に一四万九、六四〇円、石川外科に一一万六、七一一円、吉森指圧治療院に三万八、〇〇〇円支払つたことが認められる。

原告は、歯の治療代三万一、六七八円を請求し、〔証拠略〕によれば、原告が本件事故後前歯の治療をし、その治療費として大島歯科医院に三万一、六七八円支払つたことが認められ、原告本人尋問の結果中には、右歯の治療と本件事故との間に因果関係がある旨の供述部分もあるが、右供述部分は前記事故の態様および〔証拠略〕に照らすと容易に措信し難く、他に因果関係の存在を認めるに足りる証拠はないから、原告の右歯の治療費の請求は理由がない。

2  医療器具代 一万三、七〇〇円

〔証拠略〕によれば、原告は、前記本件事故による傷害のため、頸椎用装具(コルセツト)を一万三、七〇〇円で購入したことが認められる。

なお、原告は、ヘルストロン代(ベツドを含む)二二万七、〇〇〇円を請求し、〔証拠略〕によれば、原告が右出費をしたことが認められるが、医療器具代は、すくなくとも医師がその必要を認めたときにかぎり相手方に対し事故による損害として賠償を求めることができると解されるところ、証人石川厳の証言によれば、原告を治療していた医師である同証人は、原告がヘルストロン療法をすることに同意したものの、必要を認めて勧めたものでないことが認められるから、ヘルストロン代の請求は理由がない。

原告は、メガネ代二万七、〇〇〇円を請求し、〔証拠略〕によれば、原告が昭和四四年一月二五日メガネ一式を二万一、〇〇〇円で、昭和四四年八月七日再びメガネ一式を六、〇〇〇円でそれぞれ購入したことが認められ、また〔証拠略〕によれば、前記本件事故による傷害のため色メガネの使用の必要性があつたことが認められるが、いまだ前記メガネが色メガネであり、かつ本件傷害のため必要なものであつたことを認めるに足りる証拠はないから、メガネ代の請求は理由がない。

3  付添看護料 一五万五、四八〇円

〔証拠略〕原告は、中村医院に入院中の昭和四三年一二月一二日から昭和四四年二月二八日まで、東京医大病院に入院中の昭和四四年一〇月一三日から昭和四四年一一月一九日まで、付添看護を必要としたことが認められ、〔証拠略〕によれば、原告は、昭和四三年一二月一三日から昭和四四年一月二〇日まで上北テル子の付添看護を受け、同人に付添看護料として五万五、九七〇円支払つたことおよび昭和四四年一〇月一三日から昭和四四年一一月一九日まで野崎某の付添看護を受け、同人に付添看護料として八万一、五一〇円支払つたことを認めることができる。

原告は、昭和四三年一二月一二日から昭和四四年二月二八日までの妻林子の付添看護料四万円を請求するが、〔証拠略〕によれば、林子は、昭和四三年一二月一二日にはいまだ中村医院に行つていないことが明らかであるから、その日の付添看護料の請求は理由がなく、また〔証拠略〕によれば、林子は、昭和四三年一二月一三日から昭和四四年二月二八日までのうちすくなくとも三〇日以上。原告に付添つたことを認めることができるが、原告が昭和四三年一二月一三日から昭和四四年一月二〇日まで上北テル子に付添看護してもらつたことは前記認定のとおりであり、しかも原告が右期間特に二人の付添看護を必要としたことを認める証拠もないから右期間の林子の付添看護料の請求は理由がなく、結局林子の付添看護料を請求しうるのは、昭和四四年一月二一日から昭和四四年二月二八日までの期間のうち、林子が実際に付添看護した期間にかぎるのが相当であるところ、〔証拠略〕によれば林子は、右期間中合計一八日原告の付添看護をしたことが認められ、また林子の付添料を一日一、〇〇〇円と認めるのが相当であるから、原告の右主張は、一万八、〇〇〇円の限度で理由がある。

4  入院諸雑費 六万四、五〇〇円

原告が本件事故により中村医院に二一六日、東京医大病院に三八日、石川外科に四日入院したことは前記認定のとおりであり、入院中一日二五〇円の割合による雑費の支出を要することは経験則上容易に認めることができるから、原告は右入院に基づく雑費として、六万四、五〇〇円の損害を受けたものと認めるのが相当である。

原告は、入院雑費とは別に栄養費として一万九、五七九円請求し、〔証拠略〕によれば、原告は中村医院および東京医大病院に入院中、牛乳代として一万九、六五九円支払つたことを認めることができるが、前記入院諸雑費とは入院にあたり、又は入院中購入した日用雑貨品のみならず、牛乳、バター等の食料品の購入代金、テレビの賃借料、新聞雑誌代等をすべて含んでいると解すべきであり、しかも入院諸雑費として一日二五〇円の割合で原告の損害を認めたのであるから、入院諸雑費とは別に栄養費を求めることは相当でない。したがつて、右主張は理由がない。

5  交通費 二七万九、〇九〇円

(一)  〔証拠略〕によれば、原告は、原告自身の入院、通院および転院のための交通費(ただしハイヤー代を除く)として、九万七、七五〇円を支払つたことを認めることができる。

原告は、昭和四三年一二月四日の旭川から室蘭までの汽車賃一、五一〇円も本件事故による損害であると主張するが、〔証拠略〕によれば、原告は右当日原告の妻の実家に用事があつて室蘭に行つたことが明らかであるから、右汽車賃の請求は理由がない。

(二)  〔証拠略〕によれば、原告は、原告の妻林子の原告に対する見舞、看護のため交通費(ただし、ハイヤー代を除く)として一七万一、二四〇円支払つたことが認められる。

被告喜多は、右林子の交通費は通院する必要がないのに通院したものであるから請求できないと主張するが、〔証拠略〕によれば、原告は中村医院に通院中、通院に付添人を要したことが認められるから原告の通院中の妻の交通費は、原告の通院のための必要な交通費であるということができ、また〔証拠略〕によれば、林子は原告が中村医院に入院中月平均三回位の割合で通院していたことが認められるが、前記原告の症状あるいは原告は付添必要期間ですら付添人をつけなかつたこともあつたこと等からすれば、右程度の林子の通院は必要であつたということができるから、被告喜多の右主張は理由がない。

(三)  原告の前記症状からすれば、駅あるいは自宅からの通院にハイヤーを要したことは容易に推認されるところ、〔証拠略〕および原告の前記通院日数を合せ考えると、通院のためのハイヤー代として少なくとも原告主張の金額を要したことを推認できるから、一万〇、一〇〇円を通院のためのハイヤー代として認めるのが相当である。

6  休業損害 九二万八、五〇〇円

(一)  〔証拠略〕によれば、原告は、本件事故当時、森本福造こと季在福経営の麻雀荘に勤務し、同店から毎月六万円の収入をえていたことを認めることができる。

(二)  〔証拠略〕によれば、原告は右麻雀荘に勤めるかたわらパチンコ機械の販売取付をしていたが、昭和四三年七月から昭和四三年一一月までの間に南興商会からパチンコ機械一、三七〇台を五三二万六、〇〇〇円で購入し、同年中に共楽会館等に一、一五〇台を四九六万五、〇〇〇円で販売し、昭和四五年一一月に東宝娯楽総合センターに残りの二二〇台を一〇五万六、〇〇〇円で販売したことを認めることができ、以上の事実によれば、原告は本件事故以前、パチンコ機械の販売取付によりパチンコ機械二二〇台を在庫商品としてえたものの金額としては三六万一、〇〇〇円の損失となつたことは明らかである。かように物の転売利益を目的とする業者が転売商品の一部を転売できず在庫として残す場合の当該年度の収益の計算については、当該年度の前年の資料等をもとにその収益を計算するのが一般には相当であると思料されるが、本件においては、原告が昭和四〇年ころからパチンコ機械の販売取付を営んでいたことは同人の供述によつて認められるものの、昭和四〇年から昭和四二年までの収益を算出できる証拠を全く提出しておらず、また原告と同種営業についての一般的な収益率がいくらであるかを認定する資料がないので、パチンコ機械はその性質から販売の時期によつて商品価値に特に変動のないことを考慮して右商品全部の転売をまち、それに要した年数でその収益を平均したものをもつて、当該年度の収益と解するのもやむをえないところである。しかるところ原告は、パチンコ機械の販売取付により三年の間に六九万五、〇〇〇円の収益をえたことになるが、原告の本件事故による症状が昭和四四年一一月三〇日固定したことは前記認定のとおりであり、右事実によれば、原告は、昭和四四年は一年中、労働できなかつたものも同然であるから、右特殊事情を考慮すれば右パチンコ機械の販売に要した年数を二年と認めるのが相当である。また本件において、右パチンコ機械の販売取付に要した経費についての立証はないが、〔証拠略〕によれば、原告はパチンコ機械の取付に大工を使用していること、パチンコ機械を札幌から汽車又は自動車で搬送してくることが認められ、右事実に公知であるところの商取引上の常識等を合せ考えれば、右パチンコ機械の販売取付の必要経費を荒利益の四割と認めるのが相当であるから、前記荒利益から四割は減額されるべきである。そうすると、原告のパチンコ機械の販売取付による収益は年額二〇万八、五〇〇円と認めるのが相当である。

算式(4,965,000円+1,056,000円-5,326,000円)×1/2×6/10=208,500円

以上(一)、(二)の事実および前記原告の傷害の部位、程度等によれば、原告は本件事故がなければ年間九二万八、五〇〇円の収入をえられたはずであるのに、本件事故による受傷のため、昭和四三年一二月四日から症状が固定するまで一年間、一切の労働をすることなく休業を余儀なくされたものと認められるから、一年分の収入九二万八、五〇〇円の収入を失つたものと認めるのが相当である。

7  逸失利益 三三七万八、八一一円

前記原告の傷害の部位、程度、治療の経過および期間、後遺症の内容、程度を合せ考えると、原告は右後遺症のため、昭和四四年一二月の症状固定時から将来九年間は労働能力が五〇%減退するものと認められるから、原告の将来の逸失利益を年毎のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると三三七万八、八一一円(円未満切捨)となる。

算式 928,500円×0.5×7,278=8,378,811円

8  慰藉料 二〇〇万円

前記原告の傷害の部位、程度、治療の経緯および期間、後遺症の内容、程度を合せ考えると、本件事故によつて原告の蒙つた精神的損害に対する慰藉料額は二〇〇万円と認めるのが相当である。

9  弁護士費用 三〇万円

原告が原告代理人に本件訴訟を委任したことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば原告は着手金として八〇万円支払う旨の約束をし、そのうち三〇万円をすでに支払つたことを認めることができるが、本件事故の性質、審理の経過および後記認容額に照らし、原告の被告らに対して本件事故による損害として賠償を求めうる弁護士費用は三〇万円と認めるのが相当である。

以上のとおりであるから、原告は本件事故により合計八四六万五、六六六円の損害を蒙つたことになる。

四  示談の効力

被告太田および被告会社は、昭和四三年一二月四日、被告太田、被告喜多、原告の三者間で、被告太田の損害は原告が、原告の損害は被告喜多がそれぞれ賠償することで示談が成立し、その際、原告は、本件事故に基づく損害の一切を被告太田に請求しない旨の確約をしたと主張し、被告太田本人尋問の結果中には右主張にそう供述部分もあるが、〔証拠略〕には「示談の結果、張廣録の破損を喜多勇が、また太田家広の車を張廣録が、その損害を、おのおの責任を持つて、その修理代を支払うこととし、事後本件事故に対す一切のものを問題としないことを各自確約致します。」旨の記載があり、また、〔証拠略〕によれば、原告、被告太田、被告喜多は本件事故当日、本件事故による損害は前記認定の車両損害だけであると考えていたこと、原告は、右当日、本件事故の衝撃により意識がもうろうとしたことがあつたもののすぐに回復し、元気であり、前記傷害を後に生ずるような様子は全くみられなかつたこと。そのため、右示談は車両損害のみを考慮していたこと、の各事実が認められ、右認定に反する被告太田本人尋問の結果はたやすく措信し難いので、これによれば、原告、被告太田、被告喜多の三者が本件事故当日締結した示談の内容は本件事故による車両の損害についてのものに限られ、したがつて、右示談書中の「一切のものを問題にしない」とは車両損害について規定したもので人損については何ら規定していないものと解するのが相当である。従つて右示談の主張は理由がない。

五  過失相殺

前記認定の事実によれば、原告は、被告喜多が後方を十分確認することなく、両車の距離がわずか約三〇メートルになつたとき後退しだしたのであるから、警笛を鳴らすなどして被告喜多に注意を与え、後方の安全を確認させるべきであつたにもかかわらず、これをなさず漫然と進行した点に過失が認められるが、本件事故全体をみてみると、前記被告喜多の後方安全不確認および被告太田の前方注視不十分の過失は、原告の右過失に比し重大だといわなければならず、その他、前記一記載の事実その他本件に顕れた一切の事情を考慮して、原告と被告太田および被告喜多との過失の割合は、原告が一、被告側が九であると認めるのが相当である。

なお、被告喜多は、原被告間のみならず、原告と被告喜多と被告太田との三者間においても過失相殺すべきである旨の主張をするが、本件第一事故と本件第二事故が共同不法行為の関係にあり、共同不法行為が成立する以上、加害者は被害者に対し共同して被害者の蒙つた損害を賠償すべき責任があることは前記のとおりであるから、被告喜多の右主張は独自の見解をとるもので、理由がない。

六  原告の本件事故前の傷害と本件事故後の傷害の関係

原告が本件事故前二回にわたり自動車事故により、頸椎不安定症等の傷害を受け、昭和四三年一〇月ころまで通院加療を受けていたことは前記認定のとおりであり、本件事故後の病名、症状と事故前の傷害の病名、症状等を比較してみれば、前記原告の本件事故前の受傷が原告の本件事故による傷害およびその後の症状に影響を与えていることは容易に推認することができる。かような場合、本件事故の加害者は本件事故によつて生じた損害のみを賠償すればよく、本件事故以前に生じた損害まで責任を負うべきいわれのないことは当然である。しかして原告は昭和四三年一〇月ころまで本件事故前の治療のため石川外科に通院しており、頭痛、めまい等の不定愁訴は当分の間続くことが予想されたこと。本件事故前一応の日常生活はできたものの、それほど強くない衝撃を頸椎に受ければ原告は本件事故後と同じような不定愁訴を訴える可能性が多分にあつたこと。本件事故により被告太田および被告喜多はともに何らの傷害も負わなかつたこと。原告の病名が本件事故前後とほぼ同一であることは前記認定のとおりであり、右諸事実によれば本件事故後の傷害に及ぼす本件事故前の傷害の割合を一割と認めるのが相当である。したがつて、原告は、本件事故によつて生じた損害のうち一割は被告らに請求することはできない。

七  ところで、前記のとおり原告は、本件事故により合計八四六万五、六六六円の損害を蒙つたことになるが、本件事故発生につき原告に一割の過失割合があり、また本件事故による傷害に本件事故前の原告の傷害が一割寄与していることはいずれも前記説示のとおりであるから、原告は被告らに対して右損害額から弁護士費用三〇万円を除いた額の八割に右弁護士費用を加えた六八三万二、五三二円の損害賠償請求権を取得したことになる。

九  保険金等の受領とその充当

原告が、自動車損害賠償責任保険から保険金三五〇万円、国民健康保険より医療保険金二三万三、九六八円、被告喜多より見舞金二〇万円の支払いをうけたことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、被告太田は、原告が本件事故により中村病院に入院中、見舞金として二七万円支払つたことを認めることができる。従つて右金員をまず原告が充当したと自認する治療費、医療器具費、付添看護料、入院諸雑費、交通費、休業損害に充当し、次いで残額をその他の損害費目に按分して充当すると原告の債権残額は二六二万八、五六四円となる。

一〇  結論

以上のとおりであるから、原告の本件請求は被告らに対し、各自二六二万八、五六四円および右金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和四六年四月一〇日(この点は一件記録より明らかである。)より支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言については同法一九六条を適用(ただし訴訟費用の負担について仮執行の宣言を付すことは相当でないから仮執行の宣言を付さない)して、主文のとおり判決する。

(裁判官 長谷喜仁 吉崎直弥 澤田経夫)

別表

(1) 汽車賃、航空運賃、バス代 27万0,900円

<省略>

(2) ハイヤー代 ¥1万0,100円

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